昨年産声を上げたKRF。

山の神が私達にあたえた試練
嵐の中のステージ
たどりつくと「苦しんだ分だけ楽しんだ」深く刻み込まれた言葉。

そしてKRF'10、我が町の長がくれた言葉
「辛くても、楽しまなければ、辛くても辛くても楽しみなさい、
自分が楽しくなければ、周りも楽しくない、先になって楽しみなさい」。

この二つの言葉を胸にいだき、私は踏み出した、仲間とともに。

昨年より多くの時間が話し合いに当てられた。
私は言った
「KRF09成功したとは思わない」と。

あの大雨でいろんな事が隠されてしまった、
途中で帰った方は楽しくなかったはず、
みんなが事故なく楽しかったと笑って帰れるように、
一度「リライト」しよう。

今年のテーマは決まった。
『周知』。地元への周知。
フェスとは、
私達が考えている事を、目指している事を知ってもらおう、というもの。
結果上手くいかなくても、動く事により私達を知ってもらえるはずだ。

「露出を多く」を心がけた。
その結果、大船渡保健所より
「若年世代献血普及員(通称・ヤンゼネ献血パイロッツ)」
第1号に任命された。

我々の活動が社会に認められつつあると思った。

さらに、町おこし、島おこし
「おらが町でもフェスを・・・」など取材が多数来るようになる。

答えは常に「私達はロックフェスをしたいのではない、フェスはあくまで手段である」。

この場で何度もメンバーが書き込んでくれている。

「いやー正月も帰ってこねー息子が帰って来たが」ッて家族がいれば.フェスは成功
地元を離れて都会で頑張っている方達が少しでも気仙を思い出してくれるとフェスは成功
田舎だからと地元に誇りを持てないでいる若い子達が少しでも気仙を誇りに思ってくれたらフェスは成功 などなど

その通りである、本当にその意識で構成されているメンバーである。

が、時にはぶつかりあう事も、足並みが揃わない事もあった。

それだけ本気、真剣なのだ失敗は許されないのだ。

昼夜をとわず準備に追われた日々、準備不足を感じつつ、ついに前日。

準備が終わり、ホッとした時気がついた。

ありえないほどの星空、360度満天の星空・天の川、明日の晴れを確信。

迎えた当日、晴れ、「青すぎる空」である。
来場者の笑顔、言葉で疲れがすべてぶっ飛ぶ。
「二つの言葉」を思い出した。自分も楽しもう。
リピータも多く、私達と共にあの嵐を経験して又戻って来てくれた。
しかし、晴れには雷が付き物、種山はそういう場所なのだ、
やたら空をみる、1日の中であんなに空を見る事は2度と無いと思う。

進むにつれ少しづつ事件が出始める
失敗しようと思って失敗するやつはいないのだ。
懸命に動いて何かがちょっと足りなかっただけなのである。

何とか無事終了と思ったが、
シャトルバスが上手く連動せず長時間お客さんを待たせてしまう、
この場を借りまして「誠に申し訳ありませんでした」。

昨年試練をくれた山の神が、最後に助けてくれた、
遅れたシャトルバスを待つ客に披露してくれた2夜連続、
ありえないほどの星空、満点の星空・天の川
忘れられない「シャトルが遅れなければこんなに凄い空見れなかったよね」の言葉…

何度となくメディアで取り上げてもらっている「手作りフェス」
アーティストの方からも「ここまで手作りとは」といわれるほどである(笑)

要するに、私達は、「やれるかな?やれないかな?」ではなく、
「やるか、やらないか」を選んでやってきたのだ。
「ココでも出来る」じゃなく、「ココだから出来る」なのです。

出身者達が都会で学んで持ち帰った知識経験を
地元へ還元する、
私たちがここで「騒ぐ」ことが、地域への恩返しになると思うのです。

この気仙の地で、多くの人に夢や希望へ向かっていって欲しい、
「本物のフェス」の実現が「ココでも出来る」と言う証に…

私たちの取り組みがこの町にとって、
明るく豊かな方向へと向かう一助となれば幸いです。
そして次代を担う方々が何かを感じ取って、
地元、気仙をもっと好きになって頂ける事を願います。

事実私も、地元を誇れず都会でズーーーット生活して居たかった人間です。

が、何かが確実に変わりました。

若い頃一緒の時間を過ごした友がズーッと私の友でしたが、
新たに戦友と言える友が出来ましたし
これからの人生、私にとって大切なものを見つけ始めてると感じます。
それは、メンバーの中にも生まれて来ている感情であります。

来年の開催はまだ未定でありますが、開催出来るときは又お会いしましょう。

「賢治が愛したあの場所でロックが叫びます」

私達は、進む、「遥か彼方」へ。

 

ケセンロックフェスティバル10
実行委員長 村上 健也